【思考実験】トロッコ問題とは?正解はあるのか|解決方法や類似例を検証

思考実験

5人の命を救うために1人の命を犠牲にすることは許されるでしょうか?この記事では倫理学上のジレンマを扱ったトロッコ問題をわかりやすく解説します。

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トロッコ問題とは?

トロッコ問題の概要

トロッコ問題とは、「ある人の命を救うために他の人の命を犠牲にしてもいいのか」という倫理学上のジレンマを扱った思考実験のことです。イギリスの哲学者・Foot Philippaが1967年に提起し、その後Judith Jarvis Thomson等によって定式化されました。功利主義と義務論の対立が明確化される他、心理学・生物学・法学などの多分野でも議論が交わされてきました。

基本的なストーリー

制御が効かずに暴走するトロッコが線路を走っています。その先には5人の作業員がいて、放っておけば確実に全員轢死します。

あなたは線路の分岐器の前に立っていて、進行方向を変えることができます。しかし変更先の線路上にも1人の作業員がいます。そちらにトロッコが向かえばその作業員は確実に轢死します。

さて、あなたはどうしますか?

トロッコ問題の論点

トロッコ問題では、「多数の命を救うために少数の命を犠牲にすることの是非」が問われています。

この道徳的問題だけを抽出するために、思考実験内では「作業員が自ら避けてくれる可能性」や「トロッコが脱線する可能性」などは排除されています。また、”あなた”には判断を下した後の確定的な未来を予見できる能力も備わっています。

現実世界においては、将来発生する出来事に対して不確実性はつきものであり、それらを排除した架空の例は、現実的な指針として不十分であるように思われます。しかし、問題を単純化することによって論点が明確化されるため、不確実性の排除は道徳的分析の手法としては有用であると言えます。

また、基本となるトロッコ問題の設定では、”あなた”は作業員について人数以外の情報(年齢、性格など)を何も知りません。そのため、人数以外に起因する特定の人物像が各作業員に割り当てられる可能性は、同様に確からしいと判断するのが自然です。よって「あの作業員は犯罪者かもしれない」「あの作業員は妻子持ちかもしれない」などの不確実性は排除されます。

トロッコ問題に正解はある?

結論から言うと、トロッコ問題に特定の正解はありません。トロッコ問題は道徳的問題であり、各個人のさまざまな判断基準によって解答が導かれます。

問題を解くための絶対的な指標を持ち合わせていない以上、どの判断基準や思考回路が正しいのかは特定できません。

功利主義と義務論

トロッコ問題に解答する指標として代表的なものが「功利主義」と「義務論」です。

「功利主義」では行為の結果を評価し、最終的な幸福度を最大化することを重視します。そのため、功利主義に基づいてトロッコ問題に取り組むと、より生存者の多い状態を達成できる「進路を変える」という選択肢が導かれます。

「義務論」では行為の原因を評価し、行為者の意思や動機を重視します。そのため、義務論に基づいてトロッコ問題に取り組むと、他人の命を何かの目的のために利用することは非道徳であり許容されず、「進路を変えない」という選択肢が導かれます。

このように、トロッコ問題では「功利主義」と「義務論」の対立が明確化されています。

トロッコ問題の解答例

進路を変える

理由1「最大多数の最大幸福を実現するため」

功利主義の立場では、社会全体の功利(効用、満足、幸福)を重視するため、「最大多数の最大幸福」を実現することが行動の指針となります。「最大多数の最大幸福」とは、各個人の効用の総和を最大化した状態のことです。

「5人を犠牲に1人を救う場合」と「1人を犠牲に5人を救う場合」では、後者の方が全体の効用が大きくなります。よって、トロッコの進路を変えるべきという結論が導き出せます。

理由2「第三者からの非難を回避するため」

「死者5名」と「死者1名」では、前者の方が被害が大きいので、進路を変えなければ社会的非難を浴びる可能性があります。また、遺族からのバッシングや報復を受ける確率も、人数が多い分、前者の方が高いです。それらのリスクを回避するためには、進路を変える必要があります。

理由3「人的資源を節約するため」

人的資源とは、企業の活動に欠かせない経営資源のことです。主要な経営資源には「ヒト・モノ・カネ・情報」の4つがあります。人的資源はこのうちの「ヒト」を指し、「ヒト」は他の3つの資源を活用することができます。さらに「ヒト」は投資(育成)することによって技術・知識を身につけ、生産性を高めることができるので、人的資本であるとも見なされます。

経済を回す原動力である「ヒト」を浪費することは、社会にとっての損失です。限られた資源の消費を効率化する観点では、「1人を犠牲に5人を救う場合」の方が「5人を犠牲に1人を救う場合」よりも望ましいです。

進路を変えない

理由1「命を奪うことに抵抗があるため」

義務論の立場では、特定の義務に適合している行為が善行だと評価されるので、それらを遵守することが行動の指針となります。

主な義務としては「感謝の義務」「公正の義務」「他人を傷つけない義務」などがあります。特にドイツの哲学者・カントの義務論では、「人格尊重義務」があります。これは、他人は目的として必要とし、手段としてだけ利用してはいけない、という義務です。カント曰く、人は役に立つから価値があるのではなく、存在そのものに価値があり、この尊厳を犯してはいけないのです。

そのため、「1人を犠牲に5人を救うこと」つまり「誰かの命を何かの目的のために奪うこと」は規律違反であり、トロッコの進路を変えないべきと言う結論が導かれます。

理由2「自己判断に付随する責任を回避するため」

暴走するトロッコが5人を轢いてしまった場合、以下のような原因が考えられます。

  • 作業員達の注意不足
  • 鉄道会社の整備不良
  • 第三者の悪意
  • 偶発的な不運の連続

少なくとも、傍観者である”あなた”に非はありません。しかし、もしもトロッコの分岐器を操作してしまうと、作業員が犠牲になったことに対して、その責任の一端は”あなた”にあります。

このような自己判断に基づく責任を回避するためには、傍観者に徹し、無関係である必要があります。

理由3「運命に従うべきであるため」

暴走トロッコ問題において、その一部始終を観測している”あなた”がいなければ、トロッコはそのまま直進し、5人の作業員を轢くことになります。当然、別線路の作業員は助かります。

これを決められた運命だったと捉え、干渉を避けることを望むのなら、進路を変えないべきとなります。

トロッコ問題の派生系

歩道橋問題

ストーリー

制御が効かずに暴走するトロッコが線路を走っています。その先には5人の作業員がいて、放っておけば確実に全員轢死します。

あなたは線路の上の橋に立っていて、目の前には太った男がいます。もしその男を突き落として障害物にすれば、トロッコは確実に止まります。そしてその太った男も確実に死にます。太った男は自ら何か行動することはなく、警戒もしていないので突き落とすのに失敗する恐れはありません。

さて、あなたはどうしますか?

しかし、一般的にトロッコ問題では多数の命を救うために少数の命を犠牲にすることは許容されると判断する人が多いのに対し、歩道橋問題ではそう判断する人の割合は少なくなります。

なぜでしょうか?

トロッコ問題との違いを確かめてみましょう。

トロッコ問題における「5人を助けるための1人の犠牲」と歩道橋問題における「5人を助けるための1人の犠牲」には決定的な違いがあります。

トロッコ問題において5人の作業員が助かるのは、トロッコの進路が変更されたからであり、1人の作業員が犠牲になったからではありません。歩道橋問題において5人の作業員が助かるのは、紛れもなく太った男が犠牲になったからです。

つまり、前者における犠牲は副産物であり、後者における犠牲は行為者の意図の結果ということになります。

また、同じ「1人を犠牲にする」という行為でも、トロッコ問題では分岐器のレバーを操作するだけで行動に移すことができるのに対し、歩道橋問題では肉体的な接触を伴います。そのため決断を下すための心理的ハードルが異なるのです。

トロッコ問題との違い
  • 太った男の犠牲は行為者が意図したもの
  • 肉体的接触を伴う

ループした線路

基本的なストーリー

制御が効かずに暴走するトロッコが線路を走っています。その先には5人の作業員がいて、放っておけば確実に全員轢死します。あなたは線路の分岐器の前に立っていて、進行方向を変えることができますが、その線路は5人の手前で再び本線に合流しています。

ただし、変更先の線路上には1人の太った男がいて、そちらにトロッコが向かえばその男にぶつかって確実に止まります。また、その男の死も確実です。

さて、あなたはどうしますか?

「ループした線路」は、トロッコ問題と同様に、行為者の行動は分岐器の操作のみなので、心理的ハードルは低いです。

しかし、歩道橋問題と同様に、トロッコが止まるのは太った男に激突したからであり、その死は副産物ではありません

したがって、歩道橋問題では太った男を犠牲にできず、ループした線路では太った男を犠牲にするという選択をそれぞれ選んだ場合は、心理的ハードルの高低が判断を左右している可能性が高いです。

トロッコ問題において1人の犠牲を許容し、ループした線路では太った男を犠牲にできない場合、義務論的価値観が判断に反映されている可能性が高いです。

AI・自動運転技術の進歩による倫理問題

トロッコ問題は人の倫理観を問う道徳的問題であり、明確な解答が存在するものではありませんでした。それが近年ではAIや自動運転技術の発達により、トロッコ問題のような状況が現実味を帯びてきたことによって、解答を設定する必要のある現実的問題として認識されるようになってきたのです。

自動運転車が走行中に、子供が飛び出してきたとします。ブレーキは間に合わず、車がそのまま直進すれば子供を轢いてしまい、それを避ければ老人を轢いてしまいます。

緊急時に正常な判断をすることが難しい人間と違って、AIならば瞬時に正確な判断を下すことが可能です。そのためAIの設計者はこのような状況を想定して、どちらの命を救うべきかをあらかじめプログラミングしておく必要があります。

しかも現実世界ではトロッコ問題のように状況を単純化できず、年齢や性別、職業や身分なども考慮しなければなりません。また、責任の所在は車の所有者と製造メーカーのどちらにどの程度あるのかなどの懸念も残されています。

全員を助ける方法はあるのか

トロッコ問題の論点は「多数の命を救うために少数の命を犠牲にすることの是非」であるため、そもそも「全員を救う」は解答になっていません。

しかし

「1人を犠牲に5人を助ける」「5人を犠牲に1人を助ける」「誰も犠牲にせず全員助ける」という三つの案を想定すると、当然「誰も犠牲にせず全員助ける」が最善策です。

トロッコ問題(答えの出ない問い)の解答を放棄、または保留して、最善策を検討することは合理的であるようにも思われます。

「シュレディンガーの猫」のように、重ね合わせの状態にする

「シュレディンガーの猫」とは?
シュレディンガーの猫とは、Erwin・Schrödingerによって提唱された、量子力学の問題点を突いた思考実験です。量子の状態によって毒ガスが発生する箱の中に猫がいるとして、人間が観測するまで量子の状態は確定しないとすれば、それまで箱の中では生きている猫と死んでいる猫が共存することになり奇妙である、と彼は指摘しました。

量子力学の世界では、観測者によって観測されるまで量子の状態は確定しません。

量子の状態によって分岐器が作動するように工夫すると、観測者によって観測されるまで、トロッコが直進した状態とトロッコが進路を変更した状態とが共存します。トロッコがどちらに向かったのかを見てしまうと確率が収束し、片方の結果だけが残ります。

したがって、誰もトロッコがどうなったかを永久に確認しなければ、全ての作業員の生死は重なり合って共存し続けることになります。

トロッコを脱線させる

暴走するトロッコを排除すれば、誰も犠牲にならずに済みます。

行為者の選択肢は「進路を変更する/進路を変更しない」の二つですが、トロッコ問題では「進路を変更する」を選択した場合の、そのタイミングについては制限がありません。

行為者は自由なタイミングで分岐器を操作することができます。

例えば、もしトロッコの前輪が本線に進んだ直後に分岐器を操作し、後輪だけを別線路に誘導できれば、ベクトルが一致しなくなったことによってトロッコは脱線します。その結果、脅威が排除されたことによって6人全員の命が助かります。

このような理想的な解答例は、たびたびTwitterなどで話題になります。

まとめ

トロッコ問題では、命に価値はつけられるのか?そこに差はあるのか?という倫理学上の問いが浮き彫りになっています。

思考実験内では設定が単純化されていますが、年齢・身分・職業・過失の有無・行為者との関係など、判断を左右する要素は数多くあります。

果たして、各状況に対する解答の根拠を、人は合理的に説明できるのでしょうか?

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